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アルピーヌ ラリーの伝説

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アルピーヌ ラリーの伝説

ラリー界に生まれた伝説

1973年、世界各地で開催されていたラリーレースがFIAの下に一本化され、ラリー競技の最高峰を決めるWRXがスタート。その開幕戦となったラリー・モンテカルロを、激走の末に僅か26秒差で制したのはアルピーヌでした。

26秒差の勝利

1973年、フランスにおいて自動車は「Art de vivre(アール・ド・ヴィーヴル)=豊かなライフスタイル」の一部として根付き、各社はパフォーマンスとデザインの両面から独創性に富んだクルマを次々と生み出しました。自動車産業全体が好景気に沸く中、ラリー界にも注目が集まるようになり、中でもラリー・モンテカルロは、美しく華やかなラリーカーで各国のトップドライバーたちが競い合う名実ともに最高峰のレースとして脚光を浴びていました。

9 drivers

1973年のラリー・モンテカルロにアルピーヌ 1800で参戦したジャン=クロード・アンドリュー、オベ・アンダーソン、ジャン・トッド、ジャン=ピエール・ニコラ、ジャン=リュック・テリエ、ベルナール・ダルニッシュを含む9名のドライバー。

9 drivers

レーススタート

1月24日、ランチア・フルヴィアを駆るムナーリ/シェルストレーム組、フォード・エスコートのミッコラ/マキネン組、6台のポルシェ911、フィアット124や日産ダットサンなど各国の強豪がスタートラインに並び、ついに歴史的レースの幕が切って落とされました。
レース序盤、激しい降雪が続く最悪のコースコンディションの中で1台のシボレーがスリップしてコースを遮り、後続車両がレース不能に陥るという事態が発生。その結果、主催者側は後続車140台にコースアウトを宣言します。このことにより、レースは序盤から異様な雰囲気に包まれます。

スピンあり、コースアウトあり

降雪、凍結、強風。最悪のコースコンディション

威風堂々と

次に続くステージでは、前節での強制的なコースアウトに納得できないドライバーたちが、レース復帰を求めてコースをバリアで塞ぐという異常事態の中、アルピーヌ 1800を駆るジャン=クロード・アンドリューはこのバリアをかわして、雪の積もったフィールドを走り抜けていきます。途中スリップを起こしてスピンしてしまう場面もありましたが、かろうじてコース上にとどまり、この日のレースをなんとかトップで終えることに成功します。

最終ステージは、ラリー・モンテカルロの歴史に残る「チュリニ峠の夜」。混戦の緊張が最高潮に達する中で、なんと上位3台をアルピーヌが独占したのです。観客の注目は、アンダーソンとアンドリューという2人のドライバーに集まります。2人の首位争いは熾烈を極め、ラジオ・モンテカルロのコメンテーターであるベルナール・スパンドラーは、実況中継中に言葉を失い放心状態に陥りました。

アンダーソンとアンドリューの激闘

スウェーデン出身のアンダーソンは1971年の世界チャンピオン。若い頃から雪や氷の上でもクルマを自在に操るドライビングスキルを持つ優れたレーシングドライバーです。彼の頭にあるのは、再び世界チャンピオンに返り咲くことだけ。首位を走る同僚のアンドリューを執拗なまでにマークします。
「チュリニ峠」を通過中に事件は起こります。アンドリューの駆るアルピーヌ1800の左後輪がパンクしてしまったのです。このパンクによって、アンダーソンは勝利を手中に収めかけたかに見えました。しかしアンダーソンもハンドルミスを犯して、ガードレールに衝突するというまさかの展開に。

勝負は難関の「マドン峠」へと持ち越されました。アンダーソンは、マドン峠のコース新記録を塗り替える走りを見せますが、アンドリューは、なんとそのアンダーソンに12秒もの差をつけるほどの好走で、総合優勝を手にしたのです。

1973年、ブリジット・バルドーは映画界から引退し、ジャン=ポール・ベルモンドは、映画「おかしなおかしな大冒険(仏名:le Magnifique)」で大成功を収めました。パリではモンパルナス・タワーの落成式が行われ、世界初のコンコルド機が飛び立ちました。そんな激動の一年においても、アルピーヌA110の激闘は、人々の心に深く刻まれることとなったのです。